はじめに。アプリを使い始める際にご一読ください。

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開発ブログ

はじめまして、凡夫ひろみです。

このブログでは、アプリに関するリリース情報だったり、アプリに対する思いなどを記事にしていこうと思っています。

今回は最初の記事ということで、今思いつく書きたい項目を一旦全部書きましたので長くなっています。

お時間のある方は、そのまま読み進めて頂いて結構ですし、時間がない方はまた時間があるときに読んでもらえればと思います。

書きたい事をざーと書いてるので、あまりまとまっていはいません。また、この記事はいかなる組織の考えを弁明するものではなく、運営者自身が考えたり体験したことです。

そもそもなぜこのアプリを作ったのか?

アプリのコンセプトページにも書かせて頂いたのですが、2つ目のコンセプトの”一人で苦しんでる人を一人でも再度決意を促して、前進する意欲を与える事が出来ればいいな”という思いが一番だと思っています。

このアプリでは様々な機能を実装していますが、その中でも「御祈念項目をシェアする」という機能は特異的だと私自身は思っています。

誰の目にも止まらないところで一人懸命に生きている人を少しでも応援出来ればとの思いを込めています。

例えば、1週間後に大きな手術を抱えている人がいたとして、生死に関わる病気だったとします。

その人が「手術の大成功」といったような御祈念項目を公開すれば、その友達だったり一般公開されている御祈念項目を眺めている他ユーザーがその項目に対して「祈りました」し、もっと応援したい励ましたと思えば「コメント」や「シェア」をする。

そうすればやがてその御祈念項目は世界中のユーザーに届くことになり、共感を得る内容であれば、世界中からお題目がそのユーザーに集まることになります。

このアプリのない今の現状はどうかと言うと、確かに自分自身が苦しい状況に陥っているとかなると、地域の人たちが「祈ってるよ」とか「祈ったよ」といって励ましてくれます、「意味がある事」だと教えてくれて励ましてくれます。

自分がそういってもらえると、すごく嬉しいし頑張ろうってなるし、応援してくれている人たち・励ましてくれている人たちへの感謝と期待に応えたいという想いで、さらに頑張ることが出来る・決意が出来る。

こういった世界が創価の環境には拡がっています。

この題目PROというアプリでは、その世界を、実際の繋がりのある人達の輪だけではなくて、世界中のSGIメンバーがオンラインで励まし合う事が出来る環境を提供しています。

創価に対する世の中の評価

2019年現在でも、ネットを見れば、様々な悪質なデマや悪評があって、中で活動する身としては悲しい限りです。

その評価の中には、確かに事実もあるかもしれませんが、昔のことは正直分かりません。でも私だけでなく、今現在中で活動する人たちは、そのほとんどが本当に人の為に自分の時間を使って祈ったり、励ましにいったり、なんか差し入れしたり。真面目な人が大多数です。

こういった人たちが無駄に悪い評価を受けるのを、このアプリは徐々に緩和していけるというのが私の考えです。

そもそもなぜこういった現状になっているのかと考えてみると、一番大きいのは、会員ではない人から見て、会員はどんな想いでどんな活動をしているのかという部分が不明瞭だからではないかと思っています。あくまで私の仮設です。

この題目PROというアプリは結局のところ、世界初(なのかな?)の創価学会員・SGIメンバーのSNS機能を持つアプリだと開発者としては認識をしています。

しかし、AppStoreやGoogle Paly Storeで公開している以上、会員でなくてもアプリのダウンロードや登録が可能となっています。それでいいのです。会員でない人は、アプリをダウンロードし使ってみることで、アプリの中で展開される会員の励まし合いや祈り合うといった活動やその根底にある想いに触れる事になり、「あ、学会の中の人ってこんな人達なんだ」「そういう想いで活動しているのか」とか、少しでも理解が広まると思っています。

理解が少しでも広まっていけば、「大して悪い組織ではないな」とか「いい組織だと思うから一緒に活動したい」という流れに少しずつなっていけばいいなと思っています。

これは、アプリだけでなくこのブログもそうで、学会の中にはこんな事を考えている青年がいるのかと認知されればそれで良いのです。

要は、この想いも、会員の中で一人懸命に挑戦し続けている人への不必要な攻撃などが少しでも減ればいいと思うのです。

利便性という観点

やっぱりアプリをユーザーに使い続けてもらうためには、利便性という価値を提供し続けなければいけないのです。

使うことによって、何かしらの効率化などがなければ、アプリのコンセプトに共感して頂いたとしても「やっぱりこのアプリで記録するのはめんどくさいしやーめた」となります。と思ってます。そして、このアプリで私が実現したいことは結局実現出来なくなるのです。

だから利便性という観点で追求しなければならない。

お題目の記録・実績確認

じゃあ、このアプリ使うことによって何が便利になるの?ということですが、まずは唱題時間を簡単に記録していけるという点です。

ストップウォッチ機能を用いて、唱題を開始したらスタート、終了したらストップで記録。これだけの操作です。

これまでは、時計で時間を確認して、終了したら唱題時間を自分で管理しているノートに書き込んだり、カレンダーに追加したり、手帳に記入したり。

じゃあ今週はいくらあげたの?今月は何時間した?今年の1月1日から3月31日までどれあげた?といった集計は、紙で管理していると面倒くさいと思います。出来なくは無いですが。

このアプリでは、唱題の記録さえしてしまえば、実績確認機能で、日別や月別、また期間指定して、唱題時間及び題目の遍数というのが簡単に確認出来るようになっています。

御祈念項目の管理

御祈念項目の管理も現状は人によって様々かなと思います。基本的にはなにかしらの市販ノートだったり、頂き物の小さめのノートに書き込んで達成したら線で消したりして。

紙に手で書き込んでいるので、それを自由に編集することは難しいというのが現状だと思います。

このアプリでは、書き込んだ御祈念項目を自由に編集出来るし、祈りが叶えばステータスを「完了」にして、後々「完了」したものを確認することも出来ます。その他「キャンセル」や「中断」といったステータスもあります。

「祈りました」という機能

また「祈りました」という機能ですが、これは自分自身の御祈念項目に対しても行うことをおすすめします。

そうすると、自分自身がその御祈念項目に対してどれほど祈ったのかということも確認出来るようになるのです。

例えば、XX試験の合格という御祈念項目があったとしてそれを毎日自分で祈っていたとします。

気付いたときにはその御祈念項目に対する「祈りました」が100を超えていて、「あ、いつの間にかこんなにもこの項目に対して祈っているな」と自分で認知が出来るのです。

要はどれだけ本気でその項目に対して自分が祈っているのかが分かります。

まだ叶っていないのであれば、「祈って行動」と出来ているのかなと自分自身の行動を振り返り、再度決意出来たりもします。

某有名漫才師の話で本人がVODで仰っていたと記憶しているのですが、毎日毎日世界一の漫才師になりたいと祈っていたときに、ふとその為の行動はしていたのか?と疑問に持ち、そこから毎朝ネタを一つ書き始めた、との事でした。

この「祈りました」という機能は自分自身の祈りの強さだったりを可視化することが出来ます。

でも本当は、この「祈りました」という機能は、他メンバーの御祈念項目を祈る、または他メンバーに自分の御祈念項目を祈ってもらうということの為に開発した機能です。

併せて、自分自身でも自分の御祈念項目に「祈りました」したらいいのです。

目標管理

目標管理という機能は、これはやっぱみんななにかの縁に触れて決意して、「今日から30分毎日真剣にXXに対して祈ろう」とか「いついつまでに1万遍上げてXXを成し遂げる!」といった状況があると思います。

現状は、目標を立てても、その目標に対する達成状況や進捗を把握するには、全部手や頭で確認するしかなかったと思います。

このアプリでは、日別目標や合計目標という2種類の目標を使う事によって、全てアプリで管理出来るようになっています。

これも利便性を高めるための機能の一つです。

個人で使う分にはこれらの機能だけでも、十分に利便性は高いかなと思っていますが、このアプリの本質は、上記にもあるようにソーシャル機能にあります。

じゃあこのアプリのソーシャルな機能って?

いろいろありますが、まずは御祈念項目の「祈りました」や「コメント」「シェア」という機能ですね。

「祈りました」

でも例えば、Aさんという人と直接知り合いであることに挑戦しているけれど、そのAさんがそのXXという内容の御祈念項目を公開していない、なんて状況も普通にある。

そんなときは、ユーザー自体に「祈りました」することが出来ます。3遍でも100遍でもその方に対して応援したいという気持ちで祈ったのであれば、御祈念項目でなくてもユーザー自体を「祈りました」することが出来ます。

ある程度組織の中で活動していると、もちろん自分の事もそうなんですけど、知人の事も祈っていくようになります。

「自他共の幸福」「他人の不幸の上に自分の幸福を築くことはしない」といった考えが根底にあるからかもしれません。

念のために書いておくと、もちろん人の心というのは様々な縁に触れ地獄のような苦しみから仏のような生命にまで常に動いているのですが、祈っている間というのは、この境涯(生命状態)が高まっているので、そのときに誰かを励ます「コメント」があれば、その「コメント」は誰かの琴線に触れる境涯の高いコメントになると思うのです。

そんなコメントを受け取った方も嬉しいと思います。

現在祈っているユーザー・現在同盟唱題しているグループを表示する機能

今現在祈っているユーザーの人数・同盟唱題グループの数というものを表示するという機能もあります。

この機能は、シンガポールの高校生Aくんとの会話の中から生まれた機能なのです。社会人2年目ごろに出張で行ったシンガポールで、地域の座談会に参加しました。

そこでは全て中国語で行われていて、一切理解出来なかったのですが、それを一つ一つ翻訳してくれたAくんがいました。

仲良くなって、日本に帰国後も電話だったりメールだったりで励まし合っていました。

そんな中で、このAくんが電話で、「今電話しているこの瞬間にも世界のどこかで誰かが誰かのために祈っている」ってすごくない?と言いました。

その事実に気づいてそれを話すAくんも凄いと思ったのですが、その事実それ自体が「確かに、それはめっちゃすごいことだ」と衝撃を受けたのです。

だからこの機能というのは、一人で苦しい中で唱題をしている人がいたとして、その人達に「あなたはひとりなんかじゃなくて、今この瞬間にも誰かが誰かのために、またその人の宿業を打破する為、なにかに挑戦するため、自分を変えるため、に祈ってる人がたくさんいのるです」と伝えて励ましたかったのです。そんな機能です。

これはすごくないですか?私はすごいと思っています。(まあアプリが十分に世界中で使われればなんですけど)いついかなる時でも、アプリを開けば今祈っている人の一覧が出てきて、同盟唱題しているひとたちがいて。

なので、あなたは一人じゃないのです。

一人で苦しい中でもがいている人に焦点を当てているのには理由があります。

今の組織の中で一緒に活動しているSさんは、前の組織では地域に馴染めずほとんど活動していなかったと言っていました。

また、大学時代の同期のなかには、今の区女とは性格が合わず苦労している、といった声もありました。

他にも私が聞いている以外にもいくらでもこんな事はあると思います。

人対人なので、馬が合う合わない性格が合う合わない、いくらでもあると思いますし、それが普通だとも思います。

でもそれを理由に活動や組織から離れていってしまうのは、悲しいことだと思います。

誰も悪くないのにそんな状況が起きてしまっているのであれば、このアプリで一人になっている人を一人も出さない。その一助になればとの思いなのです。

ともだち&チャット機能

ともだちになる&チャット機能というのも、このアプリのソーシャルな機能のひとつです。

この記事を書いているつい1時間前、地域の先輩にプロボクサーの方がいるのですが、その方と話をしていて印象に残ったことがあります。

その方は試合でNYに行った際に、たまたま同年代の日本人で組織でも活動している人と知り合うことが出来て。その方が現地のメンバーに連絡をとってくれて、現地での生活に関する様々なサポートを受けることが出来たと言っていました。その後も、応援してもらえて嬉しいということです。

そうやって同年代の人が各地で頑張っている事を知れて元気にもなるし、と大体こんな感じの事を仰っていました。

このアプリがあれば、そういった各地で頑張っている似通った志を持って活動しているたくさんの方々と知り合う事が出来ます。お互い励まし合うことが出来るのです。

似たような話で行くと、私の友達にイタリアに留学していた人がいます。その子はよくイタリアSGIの事を考えたりして。

そんな時に、場所は離れていても、イタリア語で検索したらイタリアSGIのメンバーが出てきて、その人の事を祈っていけたり、お互い励ましあったり出来れば、それは素敵な事だと思ったのです。

誰しもがいろんな問題を抱えていて悩んでいて、見栄の社会ではそんな素振りを微塵も見せずに、いや見せれずに。人知れず苦しんでいるという話をよく聞きます。

似たような立場だからこそ、お互い理解し合えたり、励まし合えたり、またその人の言葉だから心に突き刺さったり。悩みが全くないという人はまあそれはそれでいいんですけどね。

そういった問題だったりを見栄を取っ払って、共有しあって、お互い励ましあって、一緒に頑張ろうっていって、一緒に唱題したりして。

そういう温かい世界があるからこそやっぱりこの組織は凄いんだろうなと感じます。

同盟唱題機能

話は戻ってソーシャルな機能ですが、他にも同盟唱題の機能があります。

これまでの同盟唱題は、まあ同じ地域の人だとか、直接の知り合いと一緒にやると思います。それは基本的には少人数で、ほとんどが2人〜15人とかその程度だと思います。

まずこのアプリでは、その少人数の既存の同盟唱題を行う事ができます。出来るだけじゃなくて、誰かがその同盟唱題の時間に唱題を始めると、通知を受け取ることが出来ます。要は、それも決意を促す為の機能の一つです。

自分ひとりだと負けてしまいそうになったときでも、そうやって励まし合っていけるグループがあると、また頑張ろうって思えたりする。

このアプリで実現したいことのもう一つは、例えば誰かが苦しんでて一人で唱題して耐え忍んでいるとして。その方が毎週日曜日の21:00から30分とか決めて頑張っているとします。

同様に同じ時間に毎週挑戦しようって思って頑張っている人がいると、毎回、今現在唱題しているユーザーの一覧に表示されていたり、現在唱題している同盟唱題グループの一覧に表示されていたり。

時間が合えば、直接の知人でなくても一緒に同盟唱題が出来る仕様です。

これも結局は、一人にならないための機能の一つなのです。

もうひとつ、この同盟唱題機能で実現したいことというのは、千人、万人規模での同盟唱題です。

これまでは実現が限りなく不可能だった事が、このアプリを使えば簡単に実現することが出来ます。

例えば、誰か一人のためでもいいですし、なにか一つの目標でもいいんですけど、その事柄に共感出来る人が集まって、全員で同盟唱題することも出来ます。

これは一つの大きな唱題の運動であって、この機能はその運動の基盤となり得ます。実現すればそれは凄いことなんじゃないかなと思っています。

題目バトン

もうひとつこのアプリのソーシャル機能として実装しているのは、「題目バトン」です。

現在それぞれの地域で自発的に、題目リレーみたいな事をやっているのではと思います。やっていないかも知れません。

私がいた地域では、地区内で一つのノートを回していました。一人が唱題をして、そしたらその日付と時間とその時の状況や頑張っていることだったり、近況報告や決意を書き込んで次の人にそのノートを回す。そのノートを受け取った人は、そのノートに書き込まれている同じ地区の人の決意に触れて自分自身も決意して唱題をして、そしてまた次の人に回す。

今現在やっていなくてもやったことある人はいると思います。

アプリでもこれを世界中のSGIメンバーとオンラインで出来るように実装していて、それが題目バトンなのです。

題目バトンでは、上記でのノートを”バトン”というものを回す事で、実現します。バトンとしたのは、題目のリレーというイメージが強かったからです。決意のバトンを世界中の人とリレーして、自分も含めた皆の決意を皆で回していく、そんな機能です。

バトンを受け取ったら、それをセットして唱題することで、決意を書き込んで次の人に回すことが出来ます。次に回す人の選択方法は、ともだち一覧からも選べますし、完全なランダムも可能なので、全世界を皆の決意が駆け巡ります。

もちろん、決意をかかなくてもいいし、回したくなければ回さなくてもいいです。一定時間立つと自動で次の人に回される仕様にしています。

この機能も、要は一人になってしまっている人を少しでも輪の中に組み込んでいく機能だし、少しでも誰かの決意を促す事が出来ればよいと思っています。

このアプリが世の中に与えうる影響

上記で、苦しんでいる人がうんぬんと書きましたが、本当は他にもいろいろあるのです。ひとつはちょっとでかいんですけど、広布に少しは貢献出来ると考えているのです。

例えば、折伏という観点から考えてみると、これまでの折伏は自分という人間が自分の知り合いになぜこの信仰をしているのかなどを語って一緒に実践していく行為かと考えています。要は仏法対話と呼ばれているものですね。これを、一人の人間を大きく動かす行為と捉えるとします。

一方で、このアプリ(またこのブログも少し)は会員でない大多数の人間の学会に対する理解をほんの少しでも進めることが出来ると思っています。それは、会員がアプリ内で行う励ましや祈りの行動であったり、このブログで私が書いている記事などです。要は、多くの人間を少し動かす行為と捉えることが出来ます。

影響を与える人間の数、またその影響の大きさといった観点で違いはあります。もちろん各種新聞などで世界中のメンバーの活躍だったりが確認出来ます。

そして会員でない人もこの新聞を読んでいる人は多くて、その事実を認識していると思います。この仏法を根幹に生きて、自身の宿業を打破した、そういった事実ですね。

ただ私のこの組織の一番好きなところは、いたるところでお互いに励まし合って皆が同じ気持ちで頑張っているというところです。

これは、新聞よりも、このアプリの方が世の中の人にリアルタイムで伝えられると思っています。

ソーシャルな機能というのは、様々な観点からやっぱりこのアプリには必要なんだと感じています。

だからこそこの題目PROは記録だけでない様々な便利機能に加えてソーシャル機能を持たせることによって、他のアプリとは違うプラスアルファの価値を提供出来るんじゃないかと考えています。

そうやって利便性を追求した先には、アプリの利用者が増え、話題になり、上記のような影響を少しずつ大きく出来るのかなと思っているのです。

そもそもなんでこの宗教活動しているの?

職業柄かも知れませんが、なにか一つ行動に移すにあたってもそもそも何でそれやってるんだっけ?と目的をよく考えます。

そもそもそのタスクって何のためにやるのか?本当に必要か?そもそもなんでこのプロジェクトをやっているんだっけ?その目的から考えると、AとBという選択肢があった場合、やっぱり全体の目的に沿っているのはAだよね、と判断を下したりします。

このアプリを開発すると決めたときも、作っている最中も、この記事を書いている今も、なんでこのアプリ作っているのかな?って考えているのです。唱題まわりの利便性を追求するため?広布拡大に貢献する?じゃあなんで広布拡大するの?そもそもなんで信心しているの?なんで折伏するの?皆さんは考えたことがありますか?結局それらを深くなんでと考えていくと、最終はなんで生きているの?そもそも生きている意味あるの?というところにたどり着くのです。念の為書いておきますが、別に人生を終わらせたいと言っているのでは全くありません。

上記の問いに対して自分なりの答えはあって、この記事には書かないのですが。じゃあなんでこの記事書いてるの?(という新たな問い)。

それは、私自身も含めて皆さんももう一度考えてみるいいきっかけになればと思ったからです。

私の大学の同期とか私の年代の方々は、社会に出て数年たって、まあそれぞれの立場で日々格闘しているのだと思います。

しかし様々な理想があっても、大多数はいち会社員として結局は日々の忙しさに囚われて、自分の為だけに生きることに必死になって。まあそれが当たり前かもしれないし、普通だし仕方ないことなのかなと感じます。

多くは疲弊して夜9時とか10時とかそれ以降に帰ってきて、貰えるかわからない年金を少ない給料から払って、疑問を感じながらも必死こいて働いて。生きる意味を失ってしまうのもなんか分かる気がしますよね。

そんな中で平日18:30に着任は、疑問というか無理だし仕事をやめろと言われていると感じる人が出てしまうのも理解出来る。

私自身もそういった状況で疑問を感じたり、いろいろな人と話し合う中で、そうやって厳しい状況に追い込まれている人であったり、一人苦しんでいるけど耐え忍んで明るく振る舞っているみたいな人がたくさんいることを知りました。

そして、このアプリで少しでも誰かを励ませる可能性があるなら、その方が自分の人生有意義になるのかなと思いました。

このアプリを通してでももしくは直接的にでも、誰かを励ますことという行為を通して自分が結局励まされ元気が出て生きる活力が出てくるということは、もうこれまでの様々な体験からは明白で。(仏法の教えでもありますね、正確な文言はいつもなんだっけ?ってなってしまう程度の知識です。)

私は幸運にも、素晴らしい先輩方に恵まれ早くからこの仏法に縁し、やっぱりこの組織は暖かくてこの中で出来た繋がりというのは、自分にとってはとても大切なものだと感じます。タイミングは人それぞれかと思います。

その方々にこのアプリで利便性を提供すること、また上記のような目的を果たすことだったり、誰か一人でも落ち込んでいる人を励ます事が出来れば、このアプリを世の中に出した意味はあるのかなと考えています。

これらを100分の1くらいにギュッと凝縮したものをコンセプトページには載せています。

だから、ただ漠然と活動するのでは、目的感とかも含めてまた皆で確認しあって、励まし合って、それぞれの宿業だったり困難な状況だったりに立ち向かって、懸命に生きていく勇気を生み出していきたいのです。なので、だらだらと書いてみました。

で、まだ続きます。

悪人は憎みきれないという話

いろんな悪いニュースを見るたびに犯罪を犯した人とかを、こいつは悪いやつだとかあまり決めつけたくないなといつも感じます。

中には生まれながらに根っからの悪人という人もいるのかも知れませんが。大多数はそうじゃないと感じています。

誰しも悪い心もあればいい心もある。他人を蹴落としてでもという生命だったり、一方であの人のために誰も見えないところでなにかしてあげようという境涯だったり。

仏法ではこれを十界論として説明されていて、一番下は地獄界から一番上は仏界と10個に分けられていると説明されています。そしてこの日蓮大聖人の教えでは、この十界の生命は万人に備わっていて、誰しもが仏界という命をこの身のままで涌現していけるというのです。

別にこの仏法を実践していなくても、そんな教えを知らなかったとしても、全ての人間はなんとなく生命状態が常に動いているという事は知っていると思います。わかりやすい例でいくと、心の中で悪魔と天使が戦っているみたいな。

そしてこの生命というのは実にやっかいで、様々な縁にふれ環境におかれ、常に変動しまくっています。

この仏法を学び実践するということは、一例ですけど上記のような生命論を学び、自分の生命状態を境涯を認知し、高めていこうという行為なのだと私は考えています。

唱題をするお題目をあげるという行為は自分自身の生命状態を見つめ直し、清らかな心で決意を新たにする行為とも捉えて良いと思います。これを毎朝晩数分から数時間人によって様々なですけど実践しているのです。その行為の最中にこのアプリが使われることを想定してます。

で、悪人の話に戻ると、やっぱりその犯罪を犯した人にももちろん仏のような他人を労り慈しみ貢献していこうという生命が備わっていて、それが今は出ていていないだけ。

様々な環境だったり、権力、立場、またお金とか利権とかが悪い生命を強くしてしまっている状況を作り出してしまうんだなというところです。

だからそういった人であっても更生することはもちろん可能だし、いくらでもやり直せる。今がどんな状況であってもこのお題目を根本に再起する事が出来るのです。と私は考えています。だから憎みきれない。

(同様に、いくら清らかな目的を掲げ決意をし、行動していた人だったとしても、政治家になり様々な権力を手にし、汚職にまみれたり。もしくは人の人生を簡単に左右できるような権力のある立場になったりして、いつの間にか大事なことを忘れてしまっている、あくまでイメージで申し訳ないのですが。で、正直なところ、そのようにメディアでは報道されてはいたりするのですが、その事実が本当かどうか私にはわからないし、その事実が本当だったとしもその裏にある真実はわからない、どんな想いでその人が行動していたかはわからなかったりする。苦渋の選択の可能性ももちろんある。そして今でも誠実に努力する権力者もたくさんいると思うのです。書きたいのは、誰しもが悪い心が出てきて、悪いことをしてしまう可能性があるということで、それは私自身にも当てはまることなのです。だからこそ、このお題目がどれだけ大事か、と考えているのです。)

戻って、この仏法を実践している人の多くはそういった教えや考えに基づいて、他人に接してて、 万人がそういった仏の生命を涌きい出すことが可能で、そういう思いだと思うのです。

その他にも、仏法の考え方には様々あって、変毒医薬とか九識論とか願兼於業とか。自分の知識はまあ浅いですが、そこらへんはまた気が向いたら記事にします。

ところで、会社の同期に十界論を話したことがあって。その友達は、学生時代は学会員の子と交際していたけど、宗教が原因で親に結婚反対され別れる事になったという子がいました。いや、よくある話だと思います。

今書きたいのは、その子に十界論を話したときに、生命状態を3個とか5個とかじゃなくて10個に分解してるって凄いなという反応だったのです。

面白いなと思いました。確かに!!本当にMECE(漏れなくだぶりがない状態)なの?って、確かに!!

めっちゃフラット!!偏見ないね。それだけでまあ私は嬉しかったですね。

他にも、会社の同期で、(創価大学を卒業しているので)創価というレッテル貼られるということをどう感じているの?と聞いてくる子もいました。

めっちゃフラット!!偏見ないね。それだけで嬉しいですね。まあ彼らとは今でもたまに飲みに行く仲です。恵まれたなと感じています。

まあ彼らも含め、今人生が順風満帆で宗教なんて必要ないという声はいくらでもあります、まあそうですよねと思います。

でも人それぞれ違ったタイミングで違った形で、やっぱりしんどい時・困難とか・大きな壁とかぶち当たることはあると思います。

どんな形かはわからなくて、結婚してうまくいかないとか、子供が障害を持って生まれてきたとか、大きな病気になったとか、交通事故とか、災害とか。

そういった状況にあっても希望を失わず全てに意味を見出し究極的な内向的な捉え方で、自分自身を変えて状況を打ち破っていこうとする考えなので。

もちろんそういったことが無いのが一番ですが、なにかあったら私が話した事とか、もしくは全然知らない人でも、そんなときにこの記事を少しでも思い出して貰えたらと思ってこの部分は書いてます。

祈りをどこまで可視化するべきなのか?という話

このアプリの根幹の機能である「祈りました」、何度もこの機能について考えるのです。

この「祈りました」という機能はいうなれば、誰かに対する応援のお題目を可視化する機能だと捉えています。

でもちょっと待ってください。全てを可視化する必要とか意味ってあるの?という自問です。

何を考えていたかと言うと、先輩方や自分を心配だったり応援だったりしてくれる人たちの祈り、これを「祈りました」という機能で通知をもらうことでその慈愛の祈りに気づき決意を促すというものなのですが、これは「祈りました」を受け取った側の話です。

じゃあその慈愛の心で他人を祈る側の気持ちはどうなのか?という観点でも考えてみました。結論から言うと今の仕様のままでいいと思っています。

例えば、高校・大学・会社が同じ一緒に音楽をやっている友達がいて。彼とは基本なんでも話するのですが、虚空会の儀式とか宝塔とかやばない、みたいな話で盛り上がります。

その彼が言っていたのが、俺らは思っている以上に先輩に祈られているよとの事。

就職活動のときからお世話になった大学・会社が同じ先輩、一つ上の大学・会社の先輩、会社は違うけど就職活動でこれでもかというぐらい時間を使って頂いてめちゃくちゃお世話になった先輩、こういった先輩方からめちゃくちゃ祈られているよ、との事。

組織の中で活動している以上、また大学で先輩方と話をし、その行動に触れ、その根底にある想いを知ってしまった以上、そのともだちから言われて、祈られていない訳ないんですよね、と私は感じるのです。

祈りの強さや時間は関係なくて、お題目3遍でも少しでも応援してくれているということに大きな感謝を感じざるを得ないのです。

で話を少し戻ると、こういった(自分もその立場になるときもある)先輩方は「私に対して祈りましたよ」と伝えたいのか?ということです。

「祈りました」の仕様を考えるにあたり、この部分を考え直してみたのです。

祈ってますよと言葉で伝えてくれるときもあるし、多くの時はわざわざそこまで伝えないんですよね多分。伝える必要があるときは伝えると思うのですが。

自分が祈る側の時を考えると、毎日毎日誰かの事を祈っていたとして、それを毎日LINEでメッセージするとします。

毎日だとうざがられる可能性もあるかなと考えたりもします。毎日伝える時というのは、自分の人生をかけてその人の人生を好転させるとか、状況を打破するとか、そこまで大きな気持ちのときだと思うのです。

だから、本気で毎日祈りを伝えたいときは「祈りました」して応援のコメントを送ればよくて、そうでない場合は、なんのことはないこれまで通り陰ながら祈り、必要に応じてその想いをLINEなり電話なりで伝えればよいのです。

祈ったということを相手に伝えたいときに「祈りました」して、その頻度は祈りの強さや状況や目的に応じて自由に祈る側が決めれば良いのです。

だから「祈りました」の仕様は最初に考えたとおりのままです。

この記事の終わりに

本当はもっといろいろ考えている事とか、書きたい事とかこの記事を書いている最中に出てきてて、いろいろあります。また気が向いたら記事にしようかと思っています。

項目を整理して書き始めたわけではないので、構成はぐちゃぐちゃなんですけど、その方が運営者である私の人間性も出るかな、このアプリに込めた想いみたいなのも伝わるかなと思ってそのままにしています。

なお、このアプリは引き続き改善を続けていくので、皆さんの意見だったりを参考にしたいと考えています。リリース時点ではまだ、自分で納得出来ていない部分も多くあります。

なので、この記事に対するコメントや、お問い合わせからの連絡や、もし直接の知り合いだったらラインなどで連絡くれれば嬉しいです。

建設的な批判は大歓迎です。機能に関してもこんな機能があったら嬉しいとかも連絡欲しいです。このアプリいいなと思ったら、地域の組織で広めてもらえると嬉しいです。

以上、長くなりましたがここまでお付き合いくださり、誠にありがとうございます。引き続き何卒よろしくおねがいします。

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